文化・社会よもやま話

新旧大陸10ケ国余を巡った社会人類学者の文化あれこれ

日本の文化とマスクの装着ー新型コロナ感染が流行する中でー(一)

日本の文化とマスクの装着ー新型コロナ感染が流行する中でー(一)

                                 三田千代子

 新型コロナ感染に世界中が巻き込まれている。ヨーロッパで最初の爆発的感染をみたのはイタリアである。湖北省の中国人夫婦が二〇二〇年一月二〇日頃にイタリアを訪れたことによって感染が始まったとされる。続いて、二月初めにチャーター機武漢からイタリアに帰国した研究者が感染していたことも判っている。チャーター機を二月早々に飛ばしたということは、すでにイタリア政府は新型コロナの感染を認識していたのである。日本でも二月にはコロナ感染に対する警戒感が浸透し、花粉症対応に加えてのマスク利用者が増えた頃である。以後、コロナ感染者は日本でもイタリアでも増加し、日本では三月にはマスクが店頭から姿を消した。にもかかわらず、どういうわけか街行く人はマスクを着けて歩いている。こうした感染を前にしての日本人のマスク姿は先進諸国でも大して変わらないものと思っていた。ところが、イタリア、ミラノの映像をテレビで観て驚いた。日本よりすでに感染数が多く出ているミラノの町の中心ドゥオーモの前をわずかな人が行き交っているのだが、マスク姿は観られない。時にはドゥオーモに続く階段に男女二人が腰かけてハグをしたりして、接触を恐れていない映像が映し出されていた。パリのセーヌ川岸を行き交う人々の光景もミラノと大きな差はなかった。 

 

 そこで、数か月前に友人が話してくれたブラジル、サンパウロの観光旅行での出来事を思い出した。喉の弱い友人は宿泊先の売店に夜分マスクをしたまま買い物に降りて行った。その売店に居合わせたブラジル人親子が友人を見て酷く驚いたという。反対に友人は、そのブラジル人親子のリアクションに驚いたというのだ。ヨーロッパ移民が作り上げたブラジルでは欧米文化が踏襲されており、夜、マスクをして店に入ってくる人物は素性を隠した強盗と思われるのだ。あるいは、恐ろしい感染症に患っていると思われるのである。現在日本で英語を教えながら文筆活動をしているイギリス人が、初来日した時、成田空港で目の前を通っていく日本人がマスクをしているのを目にして、日本では大きな病気が流行しているのかと思ったそうだ。またマスクをした相手の表情が判らないので不気味にも感じたという。

 

 そもそもこのヨーロッパ言語由来の「マスク」を日本語として用いるようになったのはいつからなのだろうか。

 

 東京医療用品卸業界の資料によれば、日本のマスクの歴史は大正年代に始まるのだそうだ。当初は工場内での粉塵避けとして用いられていたという。しかし、日本で粉塵を避けるようになったのは大正時代になってからではないだろう。それ以前の生活でも行われていたはずである。神社では新年を迎えるにあたって行う年末の大掃除で、紐のついた和紙で口を覆って煤払いをしていた。この口を覆った和紙にはそれなりの日本語の名称があったはずであるが、現代では神社でもマスクがそれに代わって用いられてしまっている。大正時代に工場で用いられるようになったマスクの用途は限られていたのであるから、当然のことながら一般には普及はしなかった。国民一般に浸透するようになったのは一九一八年の「スペイン風邪」の流行によってである。

 

 第一次世界大戦中に感染した米兵がヨーロッパに持ち込んでパンデミックになったのが「スペイン風邪」であるが、その名の通りにスペインで始まったのではない。戦争当時中立国であったスペインは、戦時にある諸国とは違い、この感染症について自由に報道することができた。そのためにあたかもスペインで発症したと捉えられてしまったからである。一九二一年まで「スペイン風邪」は三回流行し、全世界の罹患者は推定六億人(当時の世界人口二〇億人)、死者は二〇〇〇万人とも五〇〇〇万とも推定されている。「スペイン風邪」がインフルエンザであることが判明したのは一九三四年以降のことである。

 

 発症地とされ米国サンフランシスコで、「予防に九九%有効」と謳ってガーゼマスクの着用が一九一八年に市の条例によって義務付けられた。赤十字社が製造販売すると同時に、リーバイ・ストラウス社も製造に乗り出している。このマスクによって街の風景は一変したために、「店員がマスクを着けていたら客が怖がって購買意欲を失う」とマスク着用に反対する住民も出現した。日本でも一九一八年から感染が流行し、一九一九年九月の第二回の流行からマスクの使用が奨励されるようになった。当時の感染予防ポスターは、マスクの使用とうがいを奨励している。「スペイン風邪」による日本の死亡者は三九万とも四五万(日本の総人口五五〇〇万)とも言われ、二三八〇万人に及んだとされる感染者の多くは貧困層の住民で、感染には社会格差がみられると、当時の『高知新聞』は報じている。貧困層にはマスクの購入そのものが負担になったようだ。       (つづく)

 

三田千代子

1964字(2020・05・28)