履物を脱ぐ文化・脱がない文化
履物を脱ぐ文化・脱がない文化
先日、発達心理学の教科書のページを繰っていると、とある図版が目に入ってきた。それは、乳児の奥行き知覚を把握する米国の大学の実験の光景であった。検査用ベッドに上向きに寝かされた乳児が上からの落下物に反応するのかどうかをみようとする実験である。靴を履いたまま上向きに寝かされた赤ん坊の姿に違和感を覚えたのだ。日本では、こうした時、赤ん坊に限らず大人も靴を履いたままでは検査台に乗らない。
そこでふと思い出したのが、ブラジル育ちの息子に日本では靴を脱ぐのだということを体得させるのに苦労したことだった。息子が3歳になる時に日本に帰国した。苦労したのは家に入るときは靴を脱ぐということを覚えさせることだった。外出から帰宅すると、靴を履いたまま上がり框に足をかけて、家に上がろうとする。そこで玄関のたたきに靴を脱がせながら、家の中では靴は脱ぐのだと言い聞かせるという毎日であった。ある日銀行に行った時のこと、当時まだあった縦長の床置きの灰皿の上に息子は靴を脱いで乗せて、「やったぞ!」とばかりに、得意げに私に見せにきたことがあった。とにかく靴を脱ぐことは覚えたのだ。ところが、次の問題である。日本では建物によって靴を脱ぐ場合と脱がない場合があるのだ。つまり、家では靴を脱ぐが、銀行やレストランでは靴を脱がないのである。この違いを体得させるのが次の苦労であったが、いつの間にか息子はその違いを覚えたようだった。面白いことに靴脱学習と共にポルトガル語を忘れていったようだった。
ヨーロッパの多くの国では家の中でも靴を履いたまま生活する。現在はどうなっているか判らないが、20世紀末のイタリア、ミラノで目にした光景である。居間で革靴を履いたまま生活している男性の姿があった。床が傷つくだろうにと眺めていた。さすが女性はヒールの靴は履いてはいなかった。ブラジル南部のドイツ移民の多い街で過ごした時には、人前で靴を脱ぐのは裸になるのと同じことだという説明を受けたことがある。以来、人前の素足がお行儀悪く感じるようになった。とはいえ、当然のことながらバスルームでは靴を脱ぐ。寝室でも靴を脱ぐ。要するに、家の中のプライベート空間では靴を脱ぐが、居間や食堂、玄関といったパブリックな空間では靴は脱がないということだ。
家の中で靴を脱ぐか脱がないかは寒暖の違いで説明されることがある。単純化して言えば、寒いから靴を脱がず、暑いから靴を脱ぐという説明である。確かに、日本を含む東南アジアは蒸し暑いとされるところでこれらの地域の諸国では履物を脱ぐ習慣が一般的にみられる。他方、イギリス、オランダ、ベルギーといった、日本より高緯度の地域では靴を脱がない習慣がみられる。とはいえ、寒さの厳しい北欧ではブーツを利用するので、家の中に入ればブーツを脱ぐ。ところが、南欧のイタリアやスペインでは、地中海の湿気が加わったサハラ砂漠の40℃を超える熱風シロッコが吹くが、靴を履いて生活している。
この靴を「脱ぐ」と「脱がない」の全く反対のライフスタイルがずっと気になっていた。ある時イタリア南部のマテーラでサッシと呼ばれる洞窟住居と出会った。この洞窟住居を見学した時、ヨーロッパの靴を履いたままの習慣の起源にたどり着いたと思った。現在ではユネスコの世界遺産となっているが、当時はイタリアの単なる観光地の一つで、旧市街地とされていたが、依然住人が生活をしていた。家の中を公開しているお宅を見学させてもらった。居住空間となる洞窟内には、2~3か所の空間がある。一つには竈があり台所のような機能を果たし、もう一つの空間は馬小屋に使用されていた。そして洞窟の真ん中の一番大きな空間には寝台、食卓、機織り機などがあった。床は文字通りの土間である。日本のかつての民家を思い出したが、中心となる洞窟に据えられていたベッドに目を見張った。なぜ靴をはいたまま生活するのかという疑問の答えが見つかったような気がしたのだ。
土間の中心に置かれたベッドは大人の胸ほどもある高いものであった。椅子がなければ、ベッドに上れないし、横にもなれない。一日の生業を終えてやっと横になる時が、着替えをして初めて靴から解放されるのだ。土間にはニワトリなどの家畜が放し飼にされ、うろうろしていた。犬もいた。人間と動物が一つ屋根の下で生活していた。だからこそ、家畜がベッドに乗れないように高くしてあるのだ。一家のベッドはこのベッド一つで、子供も一緒に寝るのでかなり大きい。そして朝起きれば、土間での生活が始まるから、靴を履くか、裸足で家の中を行き来することになる。絵や写真で見る中世ヨーロッパの農民の生活である。貴族の屋敷では15世紀になると床はタイルや木製となり、カーペットが敷かれるようになるが、靴を履いての生活は続いてきた。
日本の古民家にも土間があり、そこで煮炊きをする。時には隣接して馬小屋がある。しかもかつてはこの土間に藁を敷いて寝るということもあったようだ。江戸中期以降、畳が普及すると土間に設けられた上がり框の先に畳が敷かれ、この畳の上での食事や寝泊まりやその他の日常生活が展開されるようになった。つまり土間から上がり框に上がる時、履物を脱ぐことになる。そこでは脱ぎやすい足袋や履物の普及が関係してくることになる。
現代のヨーロッパの家と日本の家を比較して見ると、玄関の扉の開閉の方向が、履物の脱ぎ履きと関係しているのではないかとも思える。靴を履いたまま玄関に入るヨーロッパの家の玄関の入口の前には、往々にして足マットが置いてある。そこで靴についた汚れを落として入室する。玄関ドアの外にマットを置くので、大方はドアは内開きである。現代の日本の玄関ドアは外開きである。玄関に入りそこで靴を脱ぐので、内開きにして玄関を狭くしない。ヨーロッパの家でも時として、玄関ドアが外開きのことがあるが、その場合はドアの外側が一段低くなっていることが大半である。一段低くなった石段にマットを置くことができる。外にマットを置かない場合は、玄関に入るとマットが置いてあって、そこで靴を履き替える。長靴を抜いて短靴に履き替えるが、履物入れはない。入った玄関のマットの上に脱いで置く。イギリスの農村でよく目にする光景だ。
気候と建物が相互に関係しあって履物を脱ぐ、脱がないの文化を時間をかけて形成されてきたのであろう。日本と西欧相互の生活スタイルが広く認識されるようになったのは、20世紀末以降のグローバル化以降のことである。以来、両者は相互に新しい生活スタイルに関心を寄せるようにはなった。西洋化を先進の証として、西洋の靴利用の生活を日本は学びはしたが、今でも家では靴を脱ぐし、学校でさえ上履きと下履きの区別をし、校舎に入ると大きな「下駄箱」がドーンと据えられている。他方、ドレスコードを発展させ、靴をトータルなスタイルの一要素としてきた西欧世界は、日本人の履物を脱ぐ生活を通して、寝室以外で靴を脱ぐことはリラックスでき、しかも清潔な暮らし方になるとは認識し、昨今のコロナのパンデミックによって、家の内外での履物の区別が促進したと聞く。だが、多くの人々は靴を履く生活をしているのが現実である。いすれにしても、両者の履物に対する生活スタイルは基本的には変化していない。相互に情報が交わされる中で、文化は変容していくのだろうが、今後、両者の靴の生活はどのようになっていくのだろうか。
(2022・11・05)