文化・社会よもやま話

新旧大陸10ケ国余を巡った社会人類学者の文化あれこれ

「心臓」と「心」が同じ!?

「心臓」と「心」が同じ!

 

200年前の心臓の公開

 2022年9月7日に独立200周年を迎えるブラジルで、ポルトガルポルトの教会に安置されていたブラジル初代皇帝ドン・ペドロ1世(D.Pedro I, 1798-1834)の心臓が、ブラジルに一時帰国するというニュースが報じられた。200年にわたって心臓そのものがホルマリン漬けにされて安置されてきたことに驚く。10年毎にホルマリンが交換され、今日に至っているというのだが、そもそもなぜ心臓を保管したのだろうか。

スペイン、フランス、イギリス、ローマ教会を巻き込んでの自由戦争(1828-1834)あるいは兄弟戦争とも呼ばれるポルトガル内戦が、ドン・ペドロ1世(ポルトガル王位としてはドン・ペドロ4世)と弟のドン・ミゲル(D.Miguel ,1802-1866)との間で王位継承と政体をめぐって争われた。ドン・ペドロ4世が率いた立憲王政派が勝利し、1834年、7歳の長女がドナ・マリア2世(Da.Maria II, 1819‐1853)として父を摂政にしてポルトガル王位を継いだ。しかし、ドン・ペドロ4世は娘の王位継承の4日後に、生誕の地リスボン西部のケルース王宮でその早い死を迎えた。死を前にして彼は、死後、自分の心臓がポルトに埋葬されることを望んだ。その理由は、内戦でミゲルの絶対王政派の軍隊と交戦した時にポルトに立てこもったが、町の住民が支援してくれたからというものであった。彼の遺体から心臓が取り出され、ポルトのラッパ教会に安置された。遺体のその他はリスボンのブラガンサ家のパンテオンに埋葬された。

その後、ブラガンサ家のパンテオンの彼の遺体は、ブラジル独立150年を迎えた1972年にブラジル、サンパウロのイピランガ独立記念館に移された。そしてポルトに安置されていた心臓は、ブラジル独立200年を迎えた今年、ブラジルに搬送され、首都ブラジリアのイタマラチ宮(外務省ビル)に展示された。

このニュースを知った時、そもそもなぜ心臓を取り出して、それを保存し、さらにそれをたとえ縁の地とはいえ、わざわざ搬送したのか、日本人にはその理由が判らなかった。そこでブラジルにいる友人に、ブラジル国民は嬉しいとか誇らしいとか懐かしいとか思うのか尋ねたところ、遺体である心臓を見世物にするなんて不謹慎という答えが返ってきた。大統領選を控えての政治利用と思われたところもあったようだ。

200年前と言えば、日本では江戸時代後期で、飢饉や一揆に見舞われた時代で天保の改革による幕藩政治の見直しや諸外国の艦船が次々来航する内憂外患の時代であった。このような歴史的認識はできるが、この当時の将軍や天皇、あるいは老中の遺体が公開されたとしたら(といっても火葬されているので遺体はないが。。。)、現代の日本人は懐かしいと思いながら積極的にお参りしたりするだろうか。せいぜい好奇心から見物に行く程度であろう。

 

心臓と心

200年も前の歴史上の人物を自分と同じ人間として思いを込めて認識できないのが、今の21世紀に生きる我々であろう。これはブラジルでも同じであろう。200年も前のドン・ペドロ1世の心臓を目にして、どこまで彼の生き様に心を通わせることができるのだろうか。彼がポルトガルで死を迎えた時代のヨーロッパの喪葬から何か判るかもしれない。

「ヨーロッパの父」と言われるフランク王国カール大帝によってヨーロッパはキリスト教圏となった。十字架にかけられたイエス・キリストが3日後に復活したとするキリスト教では、遺体は重要である。その結果、キリスト教諸国では土葬が主要な埋葬形態となった。確かに、遺体は残される。しかし、なぜ心臓が注目されるのか。

古来より心や意識は身体のどこにあるのかを哲学者や医者が関心を寄せてきた。後に多数の思想家や神学者に影響を与えることになったアリストテレスは、心臓にあると主張した。この捉え方はヨーロッパの中世でも継続していた。15世紀にフランスの本に掲載された挿絵にはハート形をした赤い心臓が、色々な場面で描かれている。例えば、心を病んでベッドに横たわるルネ王の心臓を治療のために取り出す場面が、宮廷画家のバーテルミー・デック(Barthélmey d’Eyek, 1420頃-1470)によって描かれている。この時のルネ王の心臓は赤いハート形をしている(René d’Anjou”Le livre du coeur d’amor épris du Roi René(愛に囚われし心の書)”、1457年頃のフランスの寓話小説)。また、ヴィーナスとされる女性が天上でローブの裾の中にハート形の心臓を多数集めており、地上では赤いハート形をした心臓を数人の男女がそれぞれ天のヴィーナスに向かって差し出している挿絵もある(Cristina da Pizzano”L‘epistre de Othéa a Hestor (オテアの書簡) "14世紀末のフランスの写本)。さらに、空気中に浮遊するハート形の心臓を網を広げて集めようとしている二人の女性が描かれた挿絵もある(同上)。このように、今日、愛や感情のシンボルとして心臓を意味するハート形が、14,15世紀のフランスですでに用いられていたことが判る。

17世紀になるといわば心臓信仰に繋がる出来事が起こった。フランスのカトリック修道女マルグリット・マリー・アラコク(Martguerite Marie Alacoque, 1647-1690)は数回にわたって幻視体験をしたという。イエス・キリストがマルグリットの前に現れ、自らの心臓を示すという奇跡が起きた。心臓はキリストの人類に対する愛の象徴であり、このことによってマルグリットはイエスから「聖なる御心の愛しき弟子」となったとされる。これを契機にキリスト教圏では心臓信仰が広まることになった。

赤い心臓は愛情とか熱意を表し、信仰心と布教の情熱のキリストの象徴とされる。炎の燃える赤い心臓を胸に抱いたマルグリットの像は多数残されている。キリストの胸に赤い心臓が描かれた像も多数ある。スペイン・バロックの画家のバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban P. Murillo, 1617-1682 )は1670年に、羊飼いの杖を持った聖フラシスコ・ザビエルがガウンの間から炎の点いた赤い心臓を覗かせて天を仰いでいる姿を描いている*。

 

心臓埋葬

ヨーロッパ王家には心臓とその他の内臓、さらにその他の遺体をそれぞれ別にして王家の教会に葬るという遺体の分割埋葬が、死者への敬意を示す埋葬方法としてなされてきた。オールトリアのハプスブルク家の54人の心臓が銀の容器に入れられてアウグスティーナー教会のロレット礼拝堂に安置されているのはよく知られている。1918年に600年以上続いたハプスブルグ帝国は崩壊したが、帝国最後の皇太子オットーの分割埋葬は2011年に行われている。彼の心臓はハンガリーのパンノンハルマ大修道院に、遺体はカプツィーナ教会にそれぞれ安置されている。

聖人や王侯貴族ばかりではない。それなりの業績を残した人物の心臓埋葬の事例もある。よく知られているのはポーランドの作曲家ショパン(Fryderyk F. Chopin, 1810-1849)のそれである。パリで客死したショパンの心臓はワルシャワの教会に安置されている。帰国が叶わなかったショパンは、自分の死後はせめて心臓だけは祖国に埋葬して欲しいという言葉を残した。このことから、姉がコニャックに漬けて持ち帰って安置したという。ショパンのその他の遺体は、パリのかの有名なペール・ラシェーズの墓地に埋葬された。当時は遺体全体を持ち帰ることは難しかったのであろう。そんな時も持ち帰るのは心臓なのである。

心という精神と心臓という身体とを一体化して理解してきた結果であろう。こうした理解から心臓を特別扱いする心臓信仰に繋がってきたと考えられよう。

 

おわりにー日本語とヨーロッパ言語

以上のことから気づくことがある。ヨーロッパ諸言語では、「心臓」と「心」を日本語のように異なる単語として扱ってきていない。英語の‘heart’, 仏語の‘cœur’, 葡語の‘coração’という単語が意味する範囲は、日本語の「心臓」という単語とは比べられないくらい多くの意味が辞書に掲載されている。日本語では、内臓を意味する以外の心情的な意味合いはせいぜい「心臓が強い」とか「心臓だ」といった程度である。ところがヨーロッパ言語では、内臓を意味する以外に、愛情、愛、心、勇者など、心情を意味する様々な言葉が掲載されている。こんなところにヨーロッパの心臓崇拝と繋がる一側面がみてとれるのではないだろうか。ヨーロッパ言語の「心臓」が意味する心情的意義は、今の日本では「心」と同時に「ハート」という単語に該当させられよう。日本語の中で「ハート」という用語が用いられるようになったのはかなり最近のことだ。1970年に出版された『広辞苑』にはまだ収録されていない。2018年の『広辞苑』にも収録されていない。ところが、2008年のデジタル版の広辞苑にはすでに収録されている。デジタル版と紙書籍では想定される利用者の違いから収録用語の違いになっているのかもしれない。いずれにしても日本語の中に「ハート」が定着したのは21世紀になってからのようだ。つまり、日本語では、「心臓」と「心」と「ハート」はそれぞれ異なる言葉として理解されてきたのだ。この点が、ヨーロッパ言語と大いに異なるところである。

ブラジルの最初の皇帝となったドン・ペドロ1世の心臓が200年も保存されてきたこと、そしてそれが一時とはいえ、ブラジルに帰国した理由を、心臓に心が宿っていると捉えていない日本人には理解が難しい出来事だったのだ。

                           2022・12・20(3676字)

 

 * 日本にも江戸時代の日本人絵師によって描かれたフランシスコ・ザビエルの像がある。ザビエルは炎の心臓を左手にしている。この絵は教科書によく掲載されている。だからと言って、日本にも心臓信仰があったということはできない。別の機会に言及したい。

 

参考文献

小池寿子『内臓の発見―西洋美術における身体とイメージ』筑摩書房、2011年

樺山紘一『歴史のなかのからだ』ちくまライブラリー、1987年

養老孟司「ヨーロッパの身体性―第1回ハプスブルク家の心臓埋葬」『考える人』(新潮社季刊)2012春号139-155頁

養老孟司「ヨーロッパの身体性―第2回心臓信仰」『考える人』(新潮社季刊)2012夏号186-201頁

その他