文化・社会よもやま話

新旧大陸10ケ国余を巡った社会人類学者の文化あれこれ

光に対する感性の違いは?

 

かれこれ40年程前に目にした光景である。ブラジル、サンパウロで研究を始めた頃、スライドを用いた授業に参加する機会があった。今ではデジタルプロジェクターが使用されるが、当時はスライド映写機の時代であった。教室前面のスクリーンに向かって受講者が順次席につく。講義を始める前に担当教員はカーテンを引き講義室の照明を消す。そして映像がスクリーンに投影される。すると受講者は教員の説明を聞きながら、一斉にノートをとりだしたのである。映写機からもれるわずかな光の中でノートをとる光景に驚かされた。日本の視聴覚室では、教員は適当なところで投影を中断して照明を点け、そこで一度説明をし、ノートをとる機会を作る、そしてまた部屋を暗くしてスライドの投影を続けたのではなかったのかと思う。このサンパウロでのスライドの授業を前にして、ブラジルは結構乱暴な授業をするなと思った。しかし、その後人類学の情報を得るうちに、サンパウロのスライドの授業の光景は人種(*)とそれなりの関係があることを理解し、決して乱暴な授業ではなかったのだと反省した。

現在、米国のバイデン大統領が登場するテレビの映像を観ていると、彼は屋外ではサングラスを着用したままで仕事に対応している。実はサンパウロの暗闇でのノート書きは、このバイデン大統領のサングラス姿と繋がる光景だったのだ。つまり、人種によって異なる体内のメラニン色素の含有量が、光に対する感度の違いをもたらしていることがサンパウロの体験で得心した。

濃い肌の色は紫外線を遮断し、肌へのダメージを抑える働きがあるが、反対に、紫外線を防御するメラニン色素が少ない肌の白い所謂白人は、紫外線による肌へのダメージを受けやすいことは知られている。これと同じことが瞳(虹彩)の色の違いによっても起こる。虹彩は外からの光の量を調整して収縮する目の調節器官で、肌同様に紫外線の影響を受ける。しかも瞳の色と肌の色は相関しており、メラニン色素を多く含む黒い目の色の方が、明るい眼の色よりも紫外線からのダメージを受けにくい。虹彩の色が薄いと皮膚と同様に目の中に入ってくる紫外線の量が増えるので、虹彩の色の薄い欧米人は紫外線を過剰に浴びるリスクが高くなる。一度浴びた紫外線は年々蓄積され、加齢に伴い目にも皮膚にも疾患が生じる可能性が高くなる。反対に虹彩の明るい持ち主の白人は、照度が低くても対象物の認識が黄色人や黒人より容易ということになる。

サンパウロにも移民の国米国同様に、イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、フランス、スイス、ハンガリーなどなどのヨーロッパ移民が、奴隷制度廃止後に労働力として多数導入されている。先のスライド教室の事例は、まさにこれらヨーロッパ移民の子孫たちの光景でもある。たまたまそこに居合わせたアジア人が暗がりの中ではノートをとることができないということを体験したのだ。サンパウロの場合とは反対に光が強い場面では、米国のバイデン大統領のサングラスのように紫外線から目を保護する対策をとることになる。オーストラリアではオゾン層が薄くなったために子供達にサングラスの着用を義務付けている(**)。

メラニン色素の割合の違いがもたらす光線に対する感度の違いは、欧米と日本の照明器具の違いによく表れている。欧米では、間接照明が主流で、オフィスの明るさは300ルクス程度にするという。日本では蛍光灯のような直接照明が依然好まれ、オフィスの明るさは700から1000ルクスと言われる。同じ照度下なら日本人より明るいと感じる白人は、直接照明の下での寛ぎは難しいようだ。こんな話を聞いたことがある。イギリス人と日本人の二人の友人が、日本で温泉に浸かった後、休憩室で一休みしようと横になった。ところが、イギリス人の友人は天井の灯りが眩しくてリラックスできないと嘆いたという。ということは、同じ光景を見ていても、その光景を明るく感知する欧米人に対し日本人は暗い光景と感知する可能性がある。

印象派絵画の出発の絵となったクロード・モネの「印象・日の出」を思い出す。未だ本物を観る機会はないが、美術史の本に掲載されているモネの絵は、日が昇ってくる港の様子を描いているのだが、何となく全体がくすんでいる。モネは輪郭のはっきりした光景を描いたのかもしれない。ところが、アジア人にはくすんで見える。こんなことを思っていると、照明を変化させたという「日の出」の絵を掲載した記事に出会った。描かれた事物のひとつひとつの輪郭がはっきりしていた。この2つの「日の出」の絵は、まさにアジア人が観る「日の出」と欧米人が観る「日の出」なのかもしれない。

旅先で目にする砂浜と海の色のコントラストも白人とアジア人では違って目に映っているのだろう。誤解を招くような大きな違いではないだろうが、両者、あるいはアフリカ系の人も含めて3者が目にする同一の景色はそれぞれ異なっているのだ。しかし、それらを相互に感知することはできない。桜吹雪が舞う季節を迎えた東京で、白人や黒人が目にする花吹雪はどのような景色に見えているのか興味がそそられる。

 

(*)ここでは、18世紀から20世紀半ば頃までよく用いられ偏見や差別につながった人種の概念とは区別する。現生人類はヒト科ヒト亜科ヒト属のホモサピエンスの一種のみであり、白人(コーカソイド)、黒人(ネグロイド)、黄色人(モンゴロイド)といった人種の分類はいわば品種のようなものと捉えている。

 

(**)20世紀末に指摘されるようになった地球を覆うオゾン層の後退に伴い地球上に注がれる紫外線の増加によって白内障や皮膚がんといった健康被害のリスクが報告されており、北欧やオーストラリアでは子供の外出には長袖シャツにサングラスや帽子の着用、日焼け止めの使用などの対応策を義務付けている。

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2023・4・5